『われわれがコミュニケーションを必要とする真の理由がある。すなわち、組織においてコミュニケーションは手段ではない。組織のあり方である。』

P.F.ドラッカー,マネジメント《中》第38章
代表取締役 瀧野 雅一

 会社の中で、コミュニケーションは誰かから誰かに伝えるものではありません。複数の人の中からの一人からその中のもう一人に伝えるものです。

 会社の中では上司は部下へとコミュニケーションをとろうと努力します。しかし現実は上司から部下へのコミュニケーションは成立しないのです。

 なぜなら上司から部下へ伝えるものは『命令』になってしまうからです。上司からの発信はどんなに丁寧だったとしても、部下からみれば『命令』に聞こえます。上司からいかに優しく伝えられたとしても部下は「それって、やれって言うことですよね。」と受け止めるということです。社長から贈る「社員への手紙」をどんなに上手に書いたとしても、社員が理解できることや期待していることを書かなければ無駄に終わってしまいます。

 つまりコミュニケーションは発し手ではなく、受け手の理解を基盤としない限り時間と労力の無駄に終わってしまうのです。

 部下へのコミュニケーションでは「あなたの目標を達成するために私の出来ることはありませんか?」と聞くのが正しいのです。

・コミュニケーションとは知覚である

 コミュニケーションを成立させるのは受け手です。コミュニケーションを発する者は発するだけで、聞く人がいないとコミュニケーションは成立しません。そして、受け手に理解出来る内容で発しなければコミュニケーションは成立しないのです。外国人とコミュニケーションを成立させるには外国語使わないと伝わらないのです。

 あらゆる物事には複数の側面があります。しかし人は同時に一つの側面しか見えません。

 コミュニケーションを成立させるには見る側面、あるいは見る方向を合わせないといけません。

 例えば、円すい形の物を真横から見ると三角に見え、真上から見ると丸に見えます。同じ物を見ながら三角を見ながら話す人と丸を見ながら話す人ではコミュニケーションは成立しづらいということです。

・コミュニケーションとは期待である

 私たちは期待しているものだけを知覚します。期待している物を見、期待している物を聞くのです。つまり、期待していないものは認識すらされないということです。無視されなかったとしても間違って理解されてしまいます。受け手の期待を知って初めてその期待を利用できるのです。

 部下は問題を上司と同じように見ません。同じように見えたならば同じ行動を取ってもおかしくないのです。

 部下は仕事を「何をしたいか」からスタートしようとします。コミュニケーションの結論は「これをやってくれ」という指示かもしれません。しかも少なくとも上司は部下の希望通りではないことを知っています。であるならば、たとえ説得できなくとも説明はしなくてはならないのです。