『企業家はリスクを冒す。だが、経済活動に携わる者は誰でもリスクを冒す。なぜならば、経済活動の本質は現在の資源を将来の期待に使うこと、すなわち不確実性とリスクにあるからである。』
P.F.ドラッカー,(引用元:イノベーションと企業家精神 第1部・第1章)

企業家精神とは個人であれ組織であれ、独特の特性をもつ何かです。しかしそれは気質などのことではありません。なぜなら、実際に様々な気質の人たちが企業家的な挑戦を成功させているからです。確かに、確実性を必要とする人は、企業家に向きません。しかしそのような人は、政治家、教師、医師、船長など、色々なものに向きません。それらのもの全てに意思決定が必要です。確実なところに意思決定は必要ありません。意思決定の本質は不確実性にあるのです。
意思決定を行うことのできる人であれば、学ぶことによって企業家的に行動することも企業家になることもできます。企業家精神とは気質ではなく行動です。しかもその基礎になるのは、勘ではなく、原理であり、方法なのです。
○企業家精神のリスク
一般的には、企業家精神には大きなリスクが伴うと信じられています。確かにハイテク分野のイノベーションは失敗の確率が高く、成功の確率どころか生き残りの確率さえかなり小さいのが現実です。しかし、企業家精神には大きなリスが伴わなければならないというわけではありません。
企業家は生産性が低く成果の乏しい分野から、生産性が高く成果の大きい分野に資源を動かします。そこには成功しないかもしれないというリスクはあります。しかし、多少なりとも成功すれば、その成功はいかなるリスクをも相殺しても大きいのも事実です。したがって、企業家精神は、単なる最適化よりはるかにリスクが小さいと考えられます。
○企業家精神の定義
教育は経済活動ではありません。教育の成果は少なくとも経済的な基準で評価することはできません。しかし教育の資源は経済的な資源です。それは例えば石鹸を製造するという明らかな経済活動に使う資源と同じです。つまるところ、社会的な活動に使う資源は全て経済的な資源です。資金・土地・農作物の種・鉄・教室・病院のベッドなどの物的資源にせよ、労働力やマネジメントや時間にせよ、全て経済的な資源です。
したがって、企業家精神という言葉は、経済の世界で生まれはしたものの、経済の領域に限定されるものではありません。教育界、医療界における企業家も、経済界や労働界における企業家とほとんど同じ資源を使い、ほとんど同じことを行い、ほとんど同じ問題に直面します。そして、同じように成果をあげます。 企業家精神は変化を当然且つ健全なものとします。変化を探し、変化に対応し、変化を機会として利用します。これが企業家精神の定義なのです。