『経済的な報酬は積極的な動機づけにならない』
P.F.ドラッカー,(引用元:現代の経営【下】第24章

経済的な報酬は、現代社会における積極的な動機づけの主な要因にはなりません。ただし、経済的な報酬についての不満は、仕事に対する阻害要因となってしまいます。
○新しい現実
人類の長い歴史において、多くの人たちが飢えと闘ってきました。かつては、多くの人たちが次の食事の目途がついていませんでした。これに対し、今日の先進社会では経済的な不安からは解放されています。しかし、経済的な豊かさに関心を無くしたわけではありません。しかも、生活の資だけでは不十分となり、仕事が人生になければならなくなりました。
したがって、目指すべきは豊かさの増大ではなく、期待の増大です。それは仕事を生産的なものにすることがかつてないほど重要になってきたということになります。したがって、仕事は面白いものでなくてもいいけれど、成果を上げさせるものでなければならないのです。
○仕事という漠然とした言葉
「仕事」と「休息」を並べれば、「休息」の方がいいでしょう。しかし、「仕事」と「引退」では「仕事」の方がいいでしょう。「仕事あり」と「仕事なし」では圧倒的に「仕事あり」がいいでしょう。「仕事」と「遊び」では「遊び」が好ましいかもしれませんが、遊び半分の手術では困ります。
仕事は芸術家の最高の作品になったり、時には辛くて苦しい苦役ともなります。仕事という言葉は名詞であって、働くという意味の動詞でもあります。仕事があって働くことができます。誰かが働かない限り、仕事は行われません。逆に仕事がない限り、働くことができないのです。
仕事と遊びの違いについても実に曖昧です。体の動きは細かなことまで同じことがあります。しかし、心理的・社会的には全く異なります。仕事は働く人以外の誰かに成果を生み出します。これに対し、遊びの目的は遊ぶ人自身にあります。仕事の目的は成果を使う人(ユーザー)にあります。ユーザーがいれば、そこで行われたことは遊びではなく、仕事となります。遊びの将棋もあれば、仕事の将棋もあるのです。
○企業利益への反感
従業員の目に会社の目的が利益の追求と映るかぎり、自らの利益と会社の利益の間の対立の溝は埋まりません。しかし、会社の目的が顧客の創造にあるとするならば、対立の代わりに調和がもたらせます。
マネジメントが雇用の維持という責任のために新しい市場を見つけようと決意した瞬間、会社の利益と自分達の利益が同じであると従業員が理解するのです。そして、会社も利益を必要としていると理解します。そして、「会社の利益は多すぎるか」から、「会社の利益は十分か」と変わっていくのです。